中納言兼輔の「みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ」という小倉百人一首の和歌は、もしかしたら茨城県日立市の泉神社や大甕あたりを詠んだ和歌かもしれない気がしても夜はぐっすり眠れます

これ、自分としては論文レベルの発見だと思っているんですが、、、

『小倉百人一首』27番/『新古今和歌集』恋・996番
中納言兼輔(藤原兼輔)

みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

三十六歌仙のひとり中納言兼輔が詠んだ和歌です。兼輔は賀茂川堤に邸宅があったそうです。色々Webサイトを確認してみると、この和歌にある「みかの原」は「瓶原」と書き、山城国の南部に流れる木津川の一部地域で、木津川のことを昔、泉川と言っていた。みかの原を分けるように湧いて流れる泉川と会ったことない女性への恋を詠んだ歌らしいのですが、名前がこじつけっぽく無いですか?湧くような泉がどこにあるかはっきりしませんし、湧いて流れるサイズにしては木津川は大河過ぎる気がします。

そこで、時代背景含めて、以下の仮説を立てるとしっくり来るのですがどう思いますか?

まず、中納言兼輔が生きた時代の元号は、「元慶~仁和5年間~寛平10年間~昌泰4年間~延喜23年間~延長9年間~承平」。この中で、延喜と言えば、延喜式神名帳を思い浮かべる方がいるかもしれません。延喜式神名帳の巻9と巻10には、日本全国のそれなりの大きさの神社に祭られている神様を整理した本です。この本が完成したのが、ちょうど延長5年。藤原兼輔が中納言になったのも延長5年50歳の時。まさに、中納言兼輔がノリにノッていた時なんだと思います。
そんな時代なので、延喜式神名帳の内容はそのベースのもととなる資料など、中納言兼輔のそばに存在していたのではないでしょうか?

もしかしたら、延喜式神名帳に記載されているはるか遠くの女神さまに想いを寄せるなんてこともあるのかもしれません。

例えば、延喜式神名帳に記載されていたはるか東の常陸国久慈郡の女神様に恋する着想を受けて詠んだ歌があったかも知れません。

みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

常陸国久慈郡(現在の茨城県日立市)の「天速玉姫命神社」。祀られている天速玉姫命(あまのはやたまひめのみこと)は女神様です。恋したとしても、京都に住んでいる中納言兼輔は、はるか遠くで会うことは叶いません。
そして現在「天速玉姫命神社」は、「泉神社」と呼ばれています。この神社のそばには、泉が森という「常陸国風土記」にも記載がある常に水が湧きでている泉があります。さらに、その泉を水源として太平洋にそそぐ川の名前は泉川。まさに、「わきて流るる泉川」。あまりにマッチしすぎています。

極め付きは、泉神社の山側1km先に、大甕神社という天津甕星(あまつみかぼし)を祀った神社があり、その北側の地域は、歌にある地名そのものである「みかの原(みかのはら)」と呼ばれています。

茨城県日立市南部。「みかの原わきて流るる泉川」がそろっている。

中納言兼輔が、はるか東方の常陸國久慈郡の式内社である天速玉姫命神社の御祭神である天速玉姫命を想って詠んだ歌かもしれません。

みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

証拠?写真色々。

此地ミカノ原水木村へ十二町 従是泉川道  常陸廿八社之内天速玉姫神社 大甕神社のそばにある道標。
大甕神社由緒
泉神社入口
泉神社鳥居
延喜式内常陸二十八社 泉神社
泉神社 拝殿
泉が森説明版(常陸国風土記の記載あり)
泉が森の泉
泉神社御朱印